Oct 18, 2009

医師の求人を探してみよう

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 福島第1原発事故で、東京電力は9日、1号機原子炉建屋内に同日午前4時20分ごろ、東電社員7人と経済産業省原子力安全・保安院の職員2人が入り、建屋内の放射線量を測定したと発表した。最大で毎時700ミリシーベルトあり、東電は遮蔽(しゃへい)措置をした上で、原子炉の冷却に向け作業を本格化させる。
 東電によると、建屋内の線量は1階中央はしご付近で毎時600〜700ミリシーベルト、南側の搬入口奥で同280ミリシーベルトを測定。計器調整や空冷式代替冷却装置の設置作業を行う場所の周辺では、1階が同10〜70ミリシーベルト、2階が同40〜100ミリシーベルトだった。
 線量を測定した人の被ばく量は2.7〜10.56ミリシーベルトだった。
 東電は今後、放射線の放出源の調査や、鉛のマット設置などの遮蔽処理をした上で、格納容器を水で満たす冠水(水棺)作業の状況を把握するため、水位計の調整などを実施する。冷却装置の関係機器の搬入は今週末になる見通し。 

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〔写真特集〕東北地方太平洋沖地震


 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市は8日、自衛隊に依頼して実施していた食料や生活用品の街頭配給を取りやめた。「避難所には物資を届けている。街頭配給を回り余った物を転売する人もいて、公平性の問題がある」と市は理由を説明するが、ライフラインが復旧していない地区では、炊き出しや配給に頼って自宅で暮らす住民も多く、街頭配給取りやめの影響が懸念される。

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 市によると、街頭配給は、津波被害を免れた自宅などで避難生活を送る住民を対象に5カ所で実施。また、町内会長を通じておにぎりやパンなどを各戸に届けてきたという。

 しかし、町内会長の中には「物資を配りきれない」「スーパーマーケットが再開したからもういい」などの理由で配達を断る人もいたといい、物資が行き渡っていたとは言い難い状況だった。

 一方、街頭配給には「(被災していない地区から)車で来て配給の列に並ぶ人がいたり、何カ所も回って余った物資を転売する人がいる」という指摘が市に寄せられ、市の今回の決定となった。

 だが、街頭配給に頼る住民は少なくない。津波で大きな被害が出たJR渡波(わたのは)駅前には4月30日早朝、配給を求める住民約500人の列ができ、昼過ぎまで途切れなかった。並んでいた阿部敬子さん(63)は「早い人は朝5時から並んでんだよ」と話した。津波で2人の姉を亡くしたという阿部さんは、浸水を免れた自宅2階で暮らす。この日、手にしたのは、ニンジン▽ピーマン▽スナック菓子▽ソーセージ▽レトルトカレー▽靴下▽ジュース。「朝から3時間も配給に並び、ボランティアの炊き出しで何とか生きている」とこぼした。

 街頭配給に毎日並ぶという同市垂水町に住む30代の夫婦は「市は町内会長任せ。市はもっと細かく市民の状態を把握すべきだ」と怒りを隠さない。

 市が懸念するように、被災を免れた地区から配給に並ぶ住民もいる。車で配給場所に通う女性(60)は「自宅に大きな被害はないが仕事を失った。失業保険では食べていけない。もらえるものはもらいたい」と明かす。

 市産業部は「街頭配給を取りやめた状況を見て、今後の方針を決めたい」と話している。【佐野格】


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 宮城県・石巻港を拠点としていた中型底引き網漁船13隻が9日未明、塩釜市魚市場(同県塩釜市)に水揚げした。東日本大震災後に同県内の港から出漁した漁船の水揚げは初めてで、市場では威勢の良い声が響き渡った。

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 漁船は7日早朝、仙台塩釜港(同市)から震災後初めて出漁。石巻市・牡鹿半島沖の金華山周辺で2日間漁を行い、ハモやタラなど計約80トンを取った。津波で沖に流された畳などが網に引っかかったが、沖合底引き網漁業協同組合の鈴木広志組合長(62)は「ほぼ無事に漁が終わった。県の漁船が魚を取ってきたお陰で、魚市場も本来の活気を取り戻せた」と笑顔を見せた。

 同市場では、東京電力福島第1原発事故の風評被害が心配されていたが、価格は通常とほぼ同じだった。

 自筆で「頑張れ塩釜」と書いたステッカーを帽子に張り、買い受け人として競りに参加した同市の魚屋、玉沢文男さん(71)は「やっぱり地元の魚を買うのは気持ちいい。塩釜をこれからもっと盛り上げたい」と話した。【三村泰揮】


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