Apr 11, 2009
医師の求人は増加傾向にある
医師の求人は増加する一方です。理由として挙げすることができる高齢者や高齢者の増加にあるのです。高齢者は病気が発症しやすく、入院することが多いです。それほど、医師が必要とするにもかかわらず、医師が少ない状態です。医師求人で、様々な待遇があるようですが、すべての良いものだけ自由に仕事をする所を探してみてはいかがでしょうか私は看護師です。看護師求人が多すぎて何歳になっても復帰することができます。また、看護師求人は病院だけではありません。仕事の幅が広く選択することができます。私は子供が好きで将来は、保育園で働きたいです。旅行をよく知って、ツアーの看護師にも興味を持っています。友人はスキー場で看護師として働いています。看護師の資格本当に持っておくといいと思います。
東日本大震災の被害を受けたサッカーのJ1仙台と地元・宮城県に、他のJクラブやサポーターから続々と支援の手が差し伸べられている。クラブを通した被災者への支援物資のほか、練習場の提供や応援メッセージなど、被災者やチーム、サポーターを後押ししている。
J1大宮は物心両面の支援。3月27日、クラブスタッフとサポーター計25人が集めた下着類、飲料などの物資をクラブバスでユアテックスタジアム仙台(仙台市泉区)へ届けた上、そこから被災地の一つ、石巻市への物資運搬も買って出た。
2日には、大宮のサポーター約250人がさいたま市のNACK5スタジアム大宮に集結。仙台サポーターを元気づけるビデオを撮影した。撮影のコールリーダーを務めた、さいたま市の会社員森清一郎さん(39)は「J2時代から一緒に戦ってきた大好きなチーム。『一人じゃないんだ』という気持ちを伝えたかった」と思いを語った。
他のJ1チームにも被災者を支援する輪が広がっている。名古屋サポーターがペットボトル飲料約4万7000本をユアスタに持参したほか、衣類や粉ミルクなどの物資を横浜Mサポーターが中心となったグループが段ボール箱で約300個、浦和サポーターは十数個を直接届けに来た。J2を含むサポーター個人からも多くの物資が寄せられている。
チームを支える動きも出ている。千葉、埼玉などで3日始まった仙台の関東キャンプでは、チームの要請に応え、千葉県市原市が練習場を提供。浦和の配慮で練習場のレッズランドも借りることができた。さらに仙台のユースチーム、ジュニアユースチームはJ1新潟から誘われ、新潟県内でキャンプを行っている。
仙台の手倉森誠監督(43)は「Jリーグのつながりの強さに感動し、地域に根差したクラブが全国にある素晴らしさをあらためて実感した」と感謝していた。(千葉淳一、大橋大介)
東日本大震災で都市ガスの供給がストップした仙台市。住宅地から徐々に復旧が進む一方、中心部はなかなか供給が始まらず、都市ガスを利用する飲食店がやきもきしながら再開を待つ。代替熱源でやりくりする店も出てきたが、供給再開まで休業という店もある。
青葉区本町の中華料理店「香満楼」を営む連滄龍さん(48)は震災後、自宅で調理したものを持ち込む形で営業を再開。その後は購入したIH調理器1台を使って、店を切り盛りする。
悩みは火力不足。ガスなら一度に5人分作れるが、せいぜい2人分。弱火でできるマーボー豆腐やショウガ焼き定食、五目あんかけのご飯と焼きそばに限っての営業だ。
「ラーメンが作れないのが痛い」と連さん。ラーメンはスープ、麺など同時に四つのかまどが必要で、調理器1台では作れない。「出せないと断るのが一番心苦しい」と早期復旧を願う。
青葉区中央の仙台国際ホテルは電気釜やカセットコンロ、プロパンガスを駆使し、震災後もパンや弁当を販売。ロビーラウンジの臨時レストランでランチも再開させた。
高圧の大口需要のため一般とは別に3日に都市ガスの一部が復旧したが、レストラン再開のめどは立たない。同ホテルは「できるところから営業したい」と本格復旧を望む。
青葉区一番町のカレー店は「長時間煮込む作業が必要で、他の熱源は使えない」と震災以来、休業が続く。「収入源がない。せめて復旧のめどが分かれば」と嘆く。
市ガス局によると4日現在、同局が都市ガスを供給する3市3町1村全体で復旧率は40.0%。住宅地が先行する形で、飲食ビルが多い仙台市中心部はほとんどが未着手。「飲食ビルなどはガス関連設備が多く、より専門的な作業が伴う」(市ガス局)ためという。ただ5日からは中心部でも、開栓に向けた修繕作業に一部で入ったという。
「仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と16年前に警告を発していた郷土史家がいる。津波の歴史を研究し、対策の充実を訴えていた仙台市宮城野区の飯沼勇義さん(80)。東日本大震災の大津波を目の当たりにし、「行政も住民も危機管理が不十分だった」と悔やんでいる。
飯沼さんは元公立学校教諭。教壇に立つ傍ら歴史書をひもとき、仙台平野を襲った過去の巨大津波を研究してきた。
869年の貞観津波は国府多賀城の城下を襲い、多数の溺死者を出した。1611年の慶長津波でも仙台平野は一帯が冠水。津波は現在の太白区長町4丁目周辺にまで押し寄せ、薬師如来をまつる「蛸薬師」の由来にもなった。
飯沼さんは「仙台平野は180〜200年の周期で大津波が起きている。次の大津波は、いつ来てもおかしくない」と警告していた。
1994年に宮城県と仙台市に対し、3階以上の鉄筋コンクリートビルの建設、防潮林の充実など対策を講じるよう陳情。95年には「仙台平野の歴史津波 巨大津波が仙台平野を襲う!」(宝文堂)を出版した。
飯沼さんは「津波被害が出るのはリアス式の三陸沿岸で仙台の沿岸に大きな津波は来ない、という根拠のない安心感が、行政にも住民にもあった」と振り返る。
震災後、飯沼さんが出版した本は再評価され、インターネットには「津波を予言した内容」という書き込みも見られる。
飯沼さんが暮らす宮城野区蒲生のアパートも津波で壊滅的な被害を受けた。身を寄せる避難所で飯沼さんは「歴史は繰り返す。震災を教訓に、津波対策や避難誘導のシステムを早急に構築するべきだ」と語っている。(神田一道)
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